(白須賀 宿)

六十七番   一里山 一里塚
(豊橋 市)
江戸時代、道中奉行の監督下で 吉田藩が松並木と共に保護 維持にあたったが明治以降その必要も無くなり、荒廃にまかせられた、 元は道路を挟んで左右に有ったが、南側は破壊され僅かに残っていた痕跡も大正時代に完全に消滅した。 現在残っている塚は東西11m、南北14m、高さ3m、で 面影を残す極めてまれな遺構のひとつである。

   日本橋から七十一里。


豊橋市東細谷町字一里山43-2

京から⇒国道1号線の『三つ坂』交差点(信号有り)から平坦な道を南南東へ約1600m(約20分)左手にこんもり茂った森が見えてくる『一里山交差点』 の手前。 江戸時代には『化けもの塚』と呼ばれ寂しい場所で有った。江戸から⇒県道173号線の旧道から国道1号線の『一里山東』交差点と合流 、さらに北へ280m『一里山』交差点を北へ約100m右手にこんもりとした雑木林が有り、祠に塚の説明番が建っている。 

東海道の一里塚  一里山 (下細谷)  東海道の一里塚

東海道の一里塚 東海道の一里塚 東海道一里塚