(日坂 宿)

五十三番   伊達方一里塚
(掛川 市)

当時の一里塚の大きさは 直径七間、高さ3間、の小山で一里山と言われていたが明治33年に取り壊された。 平成七年この地に復元され、碑の前には『江戸より五十五里一町余り』『京都より 七十里三丁余り』と有る。

   日本橋から五十五里



掛川市 伊達方字滑川

江戸から⇒掛川バイパス『八坂IC』の高架下を抜け陸橋(塩井神社)から左手の細い旧街道に入り 約440m、右手に大きな国道と新名神の案内板の裏に石碑が建っている。 西から⇒415号線の東山口小学校を過ぎ又旧道に入り逆川沿いを右に見て小さな滑川の橋を渡ると すぐに三差路の左の小さな公園の中に駒札と碑が建っている。

東海道の一里塚  伊達方  東海道の一里塚


東海道の一里塚 東海道の一里塚 東海道一里塚