(吉原 宿)

三十五番   岩淵 一里塚
(富士川 市)

西側と東側が残っている。西側(左=北野方向を向いて)の塚は江戸時代の物と思われる大きな榎 が茂っている、この付近は地震や水害でルートが度々変わったが正徳元年(1711年)第8回朝鮮通信使を向かえた時に一里塚が作られた。

   日本橋から三十七里。



富士川市 岩淵15−13 (東側)

江戸から⇒黒塀の小林本陣、常盤家住宅を見て隣の常夜燈から南へ520m(約7分)街道が直角に西へ曲がる手前の両側に大きな榎が立っている。京から⇒旧街道を直角に北に折れたすぐ右手と 左手両向かいに大きな榎の塚が目に入る ★(北を向いて右が東塚、左が西塚。)

東海道の一里塚  岩 淵  東海道の一里塚


東海道の一里塚 東海道の一里塚 東海道一里塚