(四日市 宿)

九十五番   日永 一里塚
(四日市 市)

元禄3年(1690)東海道分間絵図には両塚に榎が植えられた右塚には松 も3本あったと記録されています。一里塚は、当初は天白橋の北詰西側の榎の老樹のある場所と思われており県の史跡に指定されていた。しかし、その後の考証により、 日永5丁目の現在地が正しいということになり、標柱を移した。 塚は、もとは5メートル四方で高さ2.5メートルの塚が、東海道の両側に築かれており、西側の塚には榎が残っていたが、明治2年(1869)に伐採され、塚もその姿を消した。
   日本橋から 百 里。

三重県四日市市日永5丁目 3−7

江戸から⇒天白川の橋から京、方面(南方)へ70mの地点。途中 西唱寺を越え小さい交差点を越えた右側二軒目、 倉庫と民家の間に石碑が建っている。 京から⇒日永5丁目(信号)を超え『東海道名残りの一本松』から約300m(5分)小さい交差点の手前左側、民家と 倉庫のはさまれた間に有り、『 史蹟日永一里塚跡三重県 』と記した石碑が建っている 。

東海道の一里塚  日 永  東海道の一里塚

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