(小田原 宿)

  十八 番    押切坂 一里塚
(二宮 町)

日本橋から十八番目の塚で 街道を挟んで両側に築かれていた。 北側は1丈2尺、で欅が植えられ 南側は高さ1丈、榎が植えられていた。 周辺は旅人目当ての茶屋や商店が軒を並べ『梅沢の立場』と呼ばれ 大変にぎわっていた。

   日本橋から十八 里。


神奈川県 二宮町山西

日本橋から⇒国道1号線から川匂神社前交差点(信号) の手前から旧道の分岐点に『 旧東海道名残り』の碑が有りその後ろ公衆電話BOXの隣に一里塚の碑が有る 京から⇒ 1号線の塔台橋を渡り先の押切の信号を東北へ、押切橋を渡って150m、旧街道の急な登坂、T字型交差点の松屋本陣跡の碑 を右に見て約179m。再度 1号線と合流する手前の 公衆boxの隣に石碑、案内の碑が設置されている。



東海道の一里塚  押切坂  東海道の一里塚


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